« 34号文書 | Main | 愛される選手 »

なら、ない電話

 夜、携帯が小フーガ・ト短調を奏ではじめた。
 ピッ

「あ、先輩、お久しぶりです!」

 ピッ
 私は静かに受話器を置き、伊右衛門の入ったペットボトルを優雅に傾けながら『ふたりエッチ』の最新刊を手に高尚な思索に耽りはじめた。
 再び携帯電話が自己主張を始め、私の思考は現世へと引き戻される。

「もしもし」
「もう、先輩、おっちょこちょいですね。いま、間違えて切るボタン押しちゃったでしょ」

 いや自分の意思で一片の迷いもなく押したんだ、とは言えない。

「そうなんだ。すまなかった。お前からだと気づいていれば、出る前に切ったんだが」
「昨日ですね、熱田神宮に行って来たんですよ」

 なんのタイムラグもなく話を進められてしまった。相変わらずこの後輩は人の話を聞かない。ああそうなのか、と相槌を打つ間もなく、名古屋に行くのに特急で3時間かかったこと、熱田神宮ではよくわからないが何者かが舞いを披露する神事を催していたこと、きしめんの味が濃かったこと、いば昇のひつまぶしがカリカリで美味しかったこと、テレビ塔にミネルバからデュートリオンビームが照射されていたことなど、名古屋行がいかに楽しかったかを捲くし立てた。

「最後のが不可解だが、楽しかったようで何よりだ」
「先輩にわからないはずないでしょう」
「インパルスが受信してたアレだってことは分かるが、知らしめたい映像がまったくわからん。一人で行ったのか?」
「えへへ、それがですねぇ」

 とてもイヤな予感がした。

「秋月さんって覚えてますか?」
「……まさか、北の?」
「そうですそうです」

 衝撃を受けた。
 秋月さんとは大学で2学年下にいた、礼儀正しく、それでいて堅苦しくない、いつも微笑みを絶やさないキャラで人気のあった女の子のことである。私も初めて会ったときには言葉を失い、思わず膝を突いて十字を切り、この造形美を世に送り出した主に感謝の祈りを捧げたほどだ。

「なんでお前が、いや、彼女が」
「いやー、仕事で偶然再会しまして。何回かお茶とかはしてたんですけど、この前遊びに誘ったらオッケーしてくれたんですよー」

 でれでれとした声色が気に入らない。
 ああ、とても気に入らない。
 同じ大学を出て同じ大阪で仕事をしているというのに、後輩と私との差はなんなのだ。私はデスクトップ上にある『ひぐらしのなく頃に』の起動アイコンと、本棚の『フルメタル・パニック』一揃いと、ちゃぶ台に置いてあるスーパーカップ(とんこつ味)を見つめた。
 不条理だ。
 そんな私の内心も知らず、後輩は言い募った。

「待ち合わせには遅れて来たんですけどね、ごめんなさいって息を切らしながら謝ってくれて、それに、かわいかったんですよ! きっとおめかしに時間がかかったんですね」

 それはきっと、朝まで他の男の部屋にいたから遅れたのだよ、後輩。

「電車に乗ったときもですね、タルトを2つ買ってきてくれてて、一緒に食べよって言ってくれたんです」

 お菓子を受け取った相手がどのような反応を示すか観察し、人間性を把握しようとしていることに気づかないのか、後輩。

「行動は無邪気なのに知性を感じるんです。ああ、もう、幸せでした」

 むかし一緒にSMAP×SMAPの計算マコちゃんを見たこともあっただろう。それをもう忘れてしまったのか、後輩。

 今度また遊ぶ約束したんですよ、キャヒヒ、と無邪気に浮かれている後輩に相槌を打ちながら、私は憐憫と、そして涙が出るほどの羨望に囚われたのだった。
 明日は外に出よう。

|

« 34号文書 | Main | 愛される選手 »

黄昏刻」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/26033/9888993

Listed below are links to weblogs that reference なら、ない電話:

« 34号文書 | Main | 愛される選手 »